番來舎とは > 卒業生の声

もう一人の母です

K・Uさん

原町高校卒業

玉川大学農学部生命科学科在学中

私の家は、海の近くにあり、2011/3/11の東日本大震災の津波で全て流失しました。 「どこにいる?」と先生から連絡を頂いたとき、岩手から仙台の親戚の家を転々と避難している最中でした。高校3年生を迎える直前でしたので、「受験生になるんだからそのまま仙台の高校に転入させてもらいなさい」とアドバイスされたにも関わらず、私は南相馬に戻って来ました。番場先生は、5人の弁護士から自己破産を勧められていたらしく、4月末までの無料の学習会を終えたら、東京で働き口を探そうとしていた矢先だったようです。
「何で帰って来たの?」と咎めるような言い方をされたとき、「原町高校で二年間共に過ごした仲間と一緒に卒業したいです。小学校から通っている番場先生に大学に入れてもらいたいです。」と自分の胸の内を明かしましたら、先生はすぐに「わかった!明日から来なさい」と、私の目を見つめて即答してくださいました。その時私は凄く安心できて、心の在りどころを見つけたような感じがしました。
 
ワンルームのアパートが、とりあえずの我が家になりました。我が家は全員、身体が大きいので、8帖のワンルームに3人で生活するのには無理があります。夕方帰宅すると、父は晩酌をし、早々と寝てしまうので、勉強する環境ではありませんでした。
先生はメインで使っていた教室を閉鎖し、トラック4台分の荷物を処分したようですが、古い自宅の教室を私のために開放してくれました。他にも先生は、仕事を始めた母のために、毎日夕飯を作ってくれたり、泊まってもいいよとも言ってくださいました。本当に第二の母の様に接してくれました。
家を失ったショックやあまりの被害の甚大さに、2ヶ月もの間、私は笑うこともできませんでした。先生と教室に2人で過ごす毎日。事務員さんも避難してしまい、パソコンが苦手の先生には、私が逆に教えて差し上げることもありました。充実した日々でした。
 
後になって、自分が戻って来たことで先生の人生を変えてしまったのではないか・・・と不安に思うことがあったのですが、「Kのお蔭で、先生でいることができた」と言ってくださったので安堵しています。
先生はもう一人の自分にとってはかけがえのない母です。心から感謝しています。